玄制流武徳会 会長メッセージ
第57回大会会長挨拶午前の部
皆さんおはようございます。
二年振りとなる大会が 本日 無事に開催できますことを、まずは皆さんと喜びたいと思います。
今日は二〇二〇年二月二十六日に逝去された故・土佐邦彦宗家の追悼大会でもあります。大会に先立ち少しだけ宗家のお話をさせて下さい。
宗家の人柄を一言で申し上げると、自分にも他者にも厳しい、しかし温かい人でした。沢山の言葉が体に染み込んでいますが、
そのうちの三つを申し上げます。
一つ目は「時間と約束は守れ」 この意味は、それが対人(たい ひと)との信頼を得る唯一の方法であるということです。
二つ目は「単純に喧嘩が強くなりたいなら、そこらへんのヤクザと喧嘩してこい。ただ空手が強い、喧嘩が強いだけならゴリラと一緒である」
その意味は 強さの裏には優しさがあり、日々の稽古により 培った力は、世の 人の 役に立つことが大切であると、 私は理解しています。
三つ目は「喧嘩は自分からしてはいけない、しかしやむを得ずやる以上は絶対に負けるな」とも教えられました。
六十三年という月日は宗家ご自身の空手道に対するたゆまぬ情熱、実体験に基づく厳しさと優しさ、そして多くの門弟の血と汗と努力によって、縦、横に紡ぎあげられた歴史です。 宗家逝去の報に際して、私はまだ六三年も生きておりませんが、その道程を想い、落涙をこらえることが出来ませんでした。
そして今日、ここから皆さんの力によって、私達の新しい歴史がスタートいたします。
今大会のスローガン、サブスローガンをご覧頂いていると思いますが、それは自流派に より誇りを持ち、大切な物、事、人をまもりながら、
さらに時代にあわせ、より良く変化するという表明であり、決意です。
必要であれば伝統は躊躇なく壊します。何故なら 歴史上においても、伝統は革新があってこそ成り立つからです。
プログラムには、道場訓と指導理念を掲載いたしました。
道場訓は、各道場でも毎回唱和していると思いますが、ここには生きる上で大切な事が全て入っています。
そしてそれは武徳会が今後も歩み続ける道筋でもあります。何が言いたいかというと、
今後も 武徳会として、一指導者としての様々な判断、決断は 全て道場訓と指導理念に基づいて行っていくということです。
これは本会指導者研修会においても共有をしています。内部、外部への対応も然り、そして支部長、指導員、門下生だけではなく、
例え私であろうと、これに反することはできないということです。このことを、本会を代表して、あらためて皆さんにお約束申し上げます。
この大会の開催にあたり、多くの門下生、ご父母、外部関係者の方々が貴重な時間を割いて準備から大会後の片づけまで、それぞれの立場で携わって下さっています。
そして同じく審判員の先生方も、私達のために各地からご参集下さいました。
お陰様で私達は、この大会を開催することが出来ます。
選手の皆さんは、試合に出る以上 勝ちにこだわり、最後まであきらめることなく戦い抜いて下さい。
ただ 同時に 関わって下さっている方々への感謝と戦う相手への敬意を忘れず、試合が終われば仲間として、交流を拡げてくれることを望みます。
以上、本大会へ携わって下さっている全ての方々への感謝と、選手の皆さんの正々堂々たる健闘を祈念申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。
第57回大会会長挨拶午後の部
皆さんこんにちは。
二年振りの大会が、今日 無事に開催できることを、まずは皆さんと心から喜びたいと思います。二年大会を行っていなかったので、初めて大会に出る子も居ると思います。
皆さんがお父様、お母様のもとに生まれたように、普段一生懸命稽古してくれているこの武徳会も、ある人のもとで生まれました。
その人の名前は土佐邦彦と言います。私達大人は、宗家とお呼びしています。
その土佐邦彦宗家が、昨年亡くなりました。今日はその追悼大会でもあります。
大会に先立ち土佐邦彦宗家のお話を少しだけさせて下さい。
今から六十三年前、東京・練馬の大泉学園という土地の妙延寺というお寺で、武徳会は誕生しました。みんなは当たり前のように道場があって稽古をしていますが、そのときは道場が無かったので、外で、しかも土の上で、稽古をすることが当たり前でした。晴れている日だけではなく、雨の日も、雪が積もっているときも、最初はたった一人で稽古をして、休みたいなと思うときもあったかもしれませんが、休まずに稽古を続けました。
そうしているうちに、一人、二人、三人と どんどん一緒に稽古をする仲間が増えて、今の武徳会の基ができました。
そこで稽古をして育った沢山の仲間が 今 みんなに空手を教えてくれている先生方です。
さっき、雨の日も雪の日も、休みたいなと思った時もあったかもしれないけど、稽古を続けたら仲間が増えたという話をしましたが、
先生が今日、皆さんに言いたいことは「継続は力なり」ということです。
正直に、空手の稽古が好きっていう人手を挙げて下さい。
空手の稽古が嫌いという人、手を挙げて下さい。
はい、大体どの習い事も統計的にはこんなもんです。
何か一つのことを続けていると、楽しいことがあっても、どこかでうまくいかなかったり、思うようにできなかったり、つまらなくなってしまったり、先生に叱られたりして、
やすみたいな、やめたいなと思う時が必ずあります。
先生は空手を5才からやっていますが、実は先生も辞めたい、本当に行きたくない、という時がありました。
多分ここにいる子供のころから空手を習っているほとんどの先輩方、先生方が、みんなと同じように いきたくない、やめたい、おなかいたーい、あたまいたーい、きもちわるーい と言うことを経験していると思います。なんで嫌だったのかを考えると、ちいさいころの先生は、まず地味な基本稽古が嫌い。先生方は基本が大事、基本が大事と言っているが意味がわからないし、そもそもさほどやる気がないので話を聞いていない。だから叱られるし、さほど上達もしない。
組手をやれば顔を叩かれて鼻血が出るし、唇切れるし、お腹も突き蹴りでウっとなって、息が出来なくなったりするし、蹴れば脛をぶつけていたいし、そんな状況の中、先生には、今だ!突け、前だ!下がるな!! なんで下がるんだ―――――と叱られるし、よくよく考えなくても好きになる要素がないですね。
でも、嫌でも、負けても続けているとある日突然勝てるときがきたり、今までできなかったことが出来るようになっていることがあります。
それは、続けた人にしかわからない景色です。
みんなのお父様、お母様もきっとみんなと同じ経験をして大人になっています。
だから、続けた人にしかわからない景色を見つけて欲しいのだと思います。
でも、空手が今のみんなに合っているかは誰もわかりません。種だけ植えても、どんな花が咲くのかわからないのと一緒ですね。まずは根を張って、芽を出して、背伸びして、枝葉を伸ばして、やっとつぼみが出来て、そのあと花がさきます。何が言いたいかというと、どんなことでも結果がでるまでに時間がかかるということです。だから、今日の試合も勝ち負けはありますが、目の前の一試合をまずは一生懸命頑張ってみて下さい。頑張ったら、勝っても負けても、必ず何か得るものがあります。それを大事に一つ一つ掴んでいくと、きっともっと楽しくなって、上手になって、勝てるようになります。
その気持ちが一番大切です。
先生たちも、お父様、お母様も、勝っても負けても皆さんが大好きです。
みんなが頑張って成長する姿を見て、元気をもらっています。
一緒に稽古することで、実は先生たちのほうが、みんなに教えてもらっていることが沢山あります。今日は皆さんも、先生方も、お父様、お母様も、
一緒に成長できる記念すべき日です。応援しているので、思い切り頑張って下さい。
長くなりましたが、以上で挨拶とさせて頂きます。
一緒にこの道場で。たくさんの「嬉しい」を。
「空手道場」の枠を超えた場所でありたい。そう私たち、武徳会のスタッフはとてもワクワクしています。
早く新しい武徳会のことをみなさんに知っていただきたくて・・・・
これからたくさんの進化をしていくだろう「玄制流武徳会」。
小さい子から大人まで稽古ができる良質な環境は整っていると思います。
でもそれだけでは、「玄制流武徳会」は完成ではありません。
私たちは来て頂ける方と実際に対面してこそ、本当の力を発揮できるのです。
道場にきて
「仕事でモヤモヤしていたけど、スキッリした」
「最近表情が明るくなったねって言われるんだ」など
キラキラ輝く笑顔に、こちらも元気をもらえるからです。
変わっていく喜びを実感できる
夢中になるものを見つけられる。
一生懸命になれる自分を再発見する。
毎日頑張るためのエネルギーをチャージできる。
玄制流武徳会でのコミュニケーションを温かくする、励みになる そんな「毎日をいきいき過ごせる。」
きかっけをみなさんと一緒に探していきたいと思います。