”飽食暖衣、逸居して教なくんば即ち、禽獣に等し”---幼少時から繰り返し、父から聞かされた言葉である。意味は文字通り、”喰べたいだけ喰べて、着たい物を着て、仕事もせず、ぶらぶらして、これで教養が無ければ鳥や獣と同じだよ”ということである。
 しかし、そうは言っても、当今は”同じだよ”と言われた鳥や獣の方が怒りそうな人間が増えているのではないか。
 さらに又、”身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるはこれ、孝の始めなり”という中国の古典、孝経の一説を記憶している。
 つまり、「お前の身体は頭の髪から皮膚、足の爪まで両親から受け継いだものだから、不用意に傷つけてはいけない。自分を大切にすることが、そのまま親孝行である」と教えられた。「孝行って何だ」と言いそうな子供が今は多いのだろうか。
 「誰に対しても恥ずかしくない行動をすること、自分を大切にすること、親に心配をかけないことが親孝行と言うんだよ」と、私は道場の子供達に教えている。
 「歩きながら物を食べること、立小便をすること、弱い者いじめをすること、電車の中で老人・身体の不自由な人・赤児を抱いたり、お腹の大きな女性、こういう人に席を譲らないのは恥ずかしいことなんだよ」と教えている。
 父は又、「渇しても盗泉の水は飲まず」という諺を引いて、たとえどんなに窮迫しても他人の物を盗んでまで生きることは恥である、盗んで喰う位なら飢えて死ねと言うのである。人間は一度楽な生き方を知ってしまうと、中々そこから抜けられなくなり、ついには大きな罪を犯すようになるというのである。父はスパルタ教育の信奉者であり、私達子供に対して大変厳しく、門限に遅れたりすると、正座させられて竹刀で殴られたので、恐い・厳しいという記憶しか無かったが、家出して、他人の中で暮らすようになると、父の躾や教育に感謝することが多かったことも事実である。
 それはいつでも、「礼儀正しい」「言葉遣いが丁寧である」「姿勢が良い」等々と褒められることが多かったからである。
 私達子供は、家の中では正座以外は許されなかったし、朝起きて夜寝るまで、その折々の挨拶なしというのは考えられなかった。
 又、その年齢に応じて庭や玄関の掃除、薪割りなど、必ず仕事が与えられ、手抜きをすれば食事を与えられなかった。
 私は自分が親になった時、父に教えられたように、生まれた息子達を育てることにした。
 但し、殴られるのは自分が嫌だったので、原則として殴らないことにした。
 仮にその必要があっても、頭や顔は絶対に手をかけなかった。
 何故なら、人間としての誇りを傷つけるからである。
 子供が他人に迷惑をかけるようなことをすれば、これは親の恥であり、子供にきちんと躾をしていないのも、親の恥である。
 当然、これは子供自身の恥でもある。
 ”躾”という字は”身を美しく”と書く。
 東大法学部を卒業してキャリアに属する旧大蔵省の高級官僚が、業者の接待でノーパンシャブシャブへ行ったとか、さる県警本部長が大事件発覚の最中に視察に来た上司と接待麻雀をしていたとか、旧厚生省の次官が業者から賄賂を取って服役したとか、今は又、かの外務省のエリート達がさんざん恥をかくばかりでなく、国益を損っている。
 高い教育を受けていても、教養が無いとこうなるという見本であろう。
 ”恥知らず”という言葉を死語にしないようにして欲しいものである。


世の父親にお願い
●先祖を語り、敬うことを教えよ。
●時間と約束は守るためにある。
●読書は教養の宝庫である。
●正義は力なり、ということを教えよ。そして、力無き正義は無力である。
●子供の前では絶対夫婦喧嘩をするな。
●親は職業に誇りを持て。
●子供に好かれようと思うな。寂しくても我慢せよ。決しておべっかをつかうな。
●子供にやってよいことと、悪いことを徹底的に教えよ。
●弱い者いじめは人間の屑であると教えよ。
●金は天から降ってこないことを教えよ。
●強い身体を創ることを教えよ。気力は体力あってこそである。

世の母親にお願い
●その時々の感情で叱らないこと。
●歩けるようになったら、できる限り歩かせること。
●原則として電車の中では立たせること。(足が丈夫になり、平衡感覚が身に付く)
●転んだら、自分で立ち上がるまで待て。
●どこか擦りむいて血が出たら、出るのが当然と教えよ。
●子供に父親の悪口を言うな。何故ならあなたが選んだ、只一人の人だから。
●父親の仕事や、社会的立場について語れ。
●叱った後はしっかりと抱きしめてやること。
●一回叱ったら三回褒めてやること。
●家の中では、年齢に応じた仕事を与えること。